« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年10月31日 (日)

遂に発熱

 先週の日曜日の反省会は終電帰宅だった。

 水曜日はこの日記の3月に書いた九州に転勤した山岳部の若手が研修で出張で上京してくることの歓迎会と、9月に開催されたF社の川崎工場のサークル紹介で山岳部に興味を示した新部員候補の人たちの顔合わせを兼ねた飲み会があった。

 半分以上若手というかつてない状況だったからか、張り切った先輩方も含め少々お酒が過ぎたようだ。山岳部MLでは「記憶が飛んでいて、お金払ったか覚えていない」というメールが乱れ飛んでいた。だが、大丈夫、記憶を飛ばすほど飲んでいなかった私がきちんと支払いは差配していたのだった。おまけに、歩けないほど酔った部員候補をタクシーで送ったのだった。あぁ、無駄に金が出て行ってしまった。

 そのためか、木曜日は少し身体がだるかった。午後になると顔が火照っている。腰痛もする。この体調には覚えがあった。発熱、しかも38度以上のパターン!!

 職場の救急箱の体温計で測ったが、やはり38度以上出ていた。仕方なく早退し、薬局でバファリンを買った。自宅にたどり着き、薬を飲んで寝る。

 金曜日、寝巻き代わりのTシャツは汗でグショグショであったが、頭はすっきりしていた。出勤できそうだったので出勤。午前中は何ともなかったのだが、午後に顔が火照ってきた。昨日同様の症状だったが、終業まで我慢して帰宅し、また解熱剤を飲んで寝込んだ。おまけに左腕が腫上がってきた。全く原因不明。

 発熱に左腕の腫れはアフリカ勤務時代に国立公園内の隊員活動を視察して変な虫に刺されたときと同じだ。ひょっとして日本も温暖化でその虫がいるのかとも疑ったが、12月の気温の昨今、そんなはずはないだろう。

 土曜は台風が来ていたこともあり、1日中寝ていた。

 日曜日は、何とか体調がよくなり、来週の食糧調達。明日から再び雨ということから1週間分溜まっていた衣類を洗濯、弁当のおかず6品作った。

 午後に少しジョギングを再開。体調の悪さがモロに出て、走り始めて3分で息が上がってきたが、我慢して19分間走った。およそ2.5kmくらいか。今週から15分走にしていく予定なので、いい実験であった。何とか走れそう。段々強度を上げていかないと、2月のフルマラソンに間に合わない。

 さて、東京マラソンであるが、朝日新聞東京版のホームページの「私の東京マラソン」というコーナーに12月から2週間ごとに日々の練習記録とこれまで出場したマラソン大会や大会当日のことなどに記事を連載することになった。計算すると7本記事(「400字~800字」で「写真3枚/掲載回ごと)」)を書かなければならないのだ。結構大変、しかも完走できないとしゃれにならない。ちょっとプレッシャー。どうなることやら、また記事になったら朝日新聞ホームページをご覧下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月25日 (月)

日本ヨルダン料理交流会

 速いもので1週間が過ぎた。

週末は、メインの日曜日に備え、土曜は買出しと来週用の弁当のおかず作り、洗濯、水泳とルーティンワーク的な過ごし方であった。

葉物野菜がようやく猛暑の影響を脱し、値が下がってきた。全く出番のなかった「胡麻和えの素」の出番がやってきた。一頃の半額近い105円でホウレンソウが売っていたので早速買込み、胡麻和えを作った。ようやく、冷凍食品でない、ホウレンソウが弁当のおかずにでき、嬉しい。

その他4品のおかずを作り、来週のお弁当はこれで完璧だ。

日曜日、少し早起きをしてジョギング。10分ほど走る。身体が慣れてきたので今後は15分、20分と徐々に強度を上げていく予定。朝食後は、部屋の掃除をし、集合時間の11時に間に合うように家を出る。目標場所は六本木高校。

六本木駅を降り、あのITバブルの象徴、六本木ヒルズに向かう。ヒルズの隣が六本木高校だ。ここで、ヨルダン大使館、NPO次世代協会、そして我々協力隊ヨルダンOB会「ヨルダンネットワーク」の共同イベント日本ヨルダンお料理交流会が開催される。

予定ではヨルダン人15人、日本人20人が参加予定だ。開始時間13時に向け、スタッフたちは準備をした。大使夫人もヨルダン料理マックルーバの下ごしらえをしてくれている。

開始20分前、日本側スタッフが校門付近での案内、受付など配置についた。ここで驚きの事実が…。

13時の時点ではヨルダン人参加者が殆ど集まったのに対して、事前連絡のあった人もいるとはいえ、スタッフ以外の日本人は2人しか来なかった。焦った。仕方なく開会を遅らせる。

何とか形になるほど日本人が来たのは30分遅れ。協力隊経験者に言わせれば、途上国では現地の人がイベントに遅刻するのは当たり前。日本人はアクシデントがない限り、定刻に遅れることはないが、何だか日本人の若者のレベルの低下を見せつけられたようで気分が悪かった。

2010102401 ようやくイベントが始まった。が、日本人の参加予定者が全員揃わないのでヨルダン紹介のプログラムは後回しにして調理室に会場を移し、メインイベントのヨルダン料理、日本料理交流が始まった。

ここで気づいたのだが、六本木(高校)という土地柄か、参加者の高校生は皆ハーフであった。そんな時代なのだなぁとさらに驚いた。ちなみに大学生は皆日本人らしい学生さんであった。

元々ヨルダン人は、アジアとヨーロッパとアフリカの交差点で古代ローマの末裔なので参加者もヨーロッパ人と変わらない白い人から、浅黒い人までバラエティに富んでいるので和気藹藹としたいい雰囲気だった。大使夫人からアラブ料理の手ほどきを受け、若者たちは楽しそうであった。

2010102402_2 一方、ヨルダン人の留学生たちや日本人と結婚したヨルダン人の一家で参加した人たちは、スタッフとうどんをこね、おでんやてんぷら作りに挑戦して、こちらも楽しそうであった。

2時間余りで調理は完了、いよいよ試食タイム。やはり人気はヨルダン料理。私自身、久々に美味いマックルーバ(アラブ風鶏炊き込みご飯)が食べられて大満足であった。また、アラブ風サラダ2種類(ヒヤール(きゅうりのヨーグルトサラダ)、サラータ・アラビーエ(アラブ風サラダ))と前菜として食べるひよこ豆のペースト(ホンモス)と茄子のペースト(ムタッバル)をアラブ風パン(ホブズ)につけて食した。とても懐かしく美味しいひと時だった。

2010102403_3 面白かったのは、留学生たちが最初は日本料理に手をつけていたのが、滅多に日本では食べられないヨルダン料理を必至で食べていたことだ。「そうだな、自分も海外で日本大使公邸のレセプションに招待された時は日本料理に貪りついていたもんな。」と思いを馳せるのであった。

食後はこれまた、懐かしいヨルダンの高級菓子店「ジャブリ」のお菓子を提供していただき、アラブ風コーヒー、ハーブティを頂きながら、クイズ大会や大使夫人によるヨルダンのミニプレゼンテーションを行った。会は無事終了した。

ゲストのヨルダンの方々を送り出した後は、日本人で後片付けをした。その後スタッフ反省会を麻布十番商店街の居酒屋で行った。このような催しは初めてだったのでタイムマネジメントや広報、運営を含めて多々反省点はあったが、兎に角想定時間内にけが人もなく無事終了したので、今後もいい交流会が開催できるようがんばろうという結論になった。

やはり、東京は大掛かりで多彩な国際的イベントができるので、少し羨ましくも思ったのであった。大阪も頑張ろう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年10月18日 (月)

10月半ばの週末

 金曜夕方、大阪に向かった。

ぎっくり腰と電話してきた妻は、ご飯を作ってくれていた。病院に行ったが、歩けていたのでそう重くない症状とのことであった。昔、患った椎間板ヘルニアの可能性があるということで、後日精密検査するようであった。

寝込んでいるかもしれないと予想していたので、多少は安心した。

土曜日は、そういうことで家事手伝い及び母のPCが調子悪いということで見に行った。他のトラブルもあったが、すべて解決し、こちらもほっとした。そんなこんなで一日が終わった。

さて、日曜日午後は、11月に我らがアカペラグループ「音気球」のリーダーの結婚パーティのための歌の練習をした。かなり忘れていたものもあったが、何とか歌う予定の5~6曲のおさらいは終わった。

宿題もあったが、当日までに練習しておくということで解散。私は、一旦自宅に戻り、夕食の後、川崎の家に帰った。妻の実家からの差し入れの米と丹波黒豆の枝豆を持参した。今週は、新米と美味しい枝豆が楽しみである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年10月15日 (金)

今朝は10分走れた

 昨日の悪夢の朝から、慎重にジョギング。10分間何事もないように走れた。少し涼しくなってきたので、その程度では汗はかかないが、取り敢えず、足がつらなくて良かった。

帰宅したら、珍しく妻から早朝の電話。「ぎっくり腰になってしもた。どうしよう。今日大事な会議があるねん。」とのこと。

とにかく医者に行くように言う。今晩、久しぶりの帰阪だが、少し心配…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月14日 (木)

悲惨、走り初め

 昨日、東京マラソンネタの日記を書きました。

当然、トレーニングを開始すべく、今朝早起きしてジョギングに取組んだ。
始めて3分。ピキッ。星飛馬の左腕のことが思い出された。

足がつった。すごすごと5分歩いて帰宅しました。

うーむ、4か月以上あるとはいえ、不安な船出となりました。

果たして走れるようになるのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月13日 (水)

予想外の大当たり

 とうけふマラソンの事務局からメールが来た。

競争率9倍というので、冗談で申し込んだ東京マラソンの抽選に当たってしまった。到底、マラソンに耐えられる身体になっていない。あと4ヵ月半で身体は作れるのだろうか。

まず、節酒と節食から始めなければ、そしてトレーニング。現在、週1回程度のサイクリングと水泳しかしていない。そして、2ヶ月に1回の山歩き。非常に拙いことになってしまった。

途中棄権してもいいから、走ってみたいレースではあるが・・・・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月11日 (月)

今週も自然を満喫

 この3連休の後ろの2日は、F社山岳部の「集中登山」のイベントがあった。

全社の事業所の山岳部が持ち回りで主催して年1回一緒に登山するというものだった。ところが、中高年登山ブームが過去あったが、若者の山離れから、F社の各事業所の山岳部はドンドン廃部になった。

また、事業所の縮小(様々な部門の他企業売却など)や正社員の採用数の抑制(派遣社員の急増やソフト開発の外注化など)という日本企業の典型のようなバブル経済破綻後のここ10数年位の状況であったので、殆ど山岳部の活動の実態はなかった。しかし、山ガールなる言葉が生まれた昨今、若い人も徐々に入部するようになってきている。今や川崎工場山岳部はかなり活発に登山が出来るようになってきているのだ。

「集中登山」自体は途中、中止した年もあったが、今年39回目の開催だそうだ。今回は、第20回(23年前)と同じ場所である小川山周辺でのキャンプだ。

土曜日は激しい降雨で、土曜夜からの先発部隊は、テントを張って動けなかったようだ。私は、日曜日早朝発の後発部隊だ。まだ、しっかりと振っている中、出発した。しかし、前日からの雨のため、連休で大渋滞が予想された中央高速道路はガラガラ。渋滞を見込んで正午ごろ到着と考えていたが、10時過ぎの到着となった。

2010101001 先発組みと合流して近場のハイキングコースを行くことになった。小川山は日本のヨセミテと呼ばれるだけあって、日本でのフリークライミングのメッカとなっている。ハイキングコースはそのクライミングサイトの取り付きポイント(岩登りのスタート地点)を巡るものであった。

2010101002_2 色々な取り付きを見ながら、遠い昔、クライミングに明け暮れた時期のことを思い出した。さすがにクライマーしか行かないようなところなので、ハイキングと言っても険しい箇所やハシゴが設置されているところもあり、ハードなコースだった。

2010101003 夕方、キャンプに戻り、乾杯とバーベキュー、キャンプファイヤーのお約束の行事、山の昔のエピソードなど夜中まで楽しい時間を過ごした。

翌朝、少し起きるのが辛かったが、テント撤収や昨夜の片付けの後は、クライミングをする人たちを除いて、帰宅した。私は帰宅組みだった。3連休の最終日なので午後になるととんでもない渋滞に巻き込まれるのは必至だった。途中、清里の道の駅で野菜などを買い込み、10時半ぐらいに中央高速道路に入った。もう、既に中央道の渋滞ポイントの小仏トンネルでは数キロの渋滞になっていたが、そこだけが込んでいたので思っていたより早く帰宅できた。

今、ラジオの交通情報では、小仏トンネル38kmの渋滞の模様。早く帰って正解だった。

午後は、雨で湿っぽい登山具を乾かし、洗濯、掃除、トイレの清掃、靴磨き、来週のお弁当のおかず準備などの家事に追われた。夕食は、お弁当のおかずの残り(タッパーに保存した残り)と正味期限が近い冷蔵庫に入ったままの焼ソバを調理し、夕食とした。これから就寝まで読書の予定。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 7日 (木)

秋のイベント

 週末のことをズルズル遅れて書いてます。

先週の週末+αでは、様々なイベントに参加及び準備の日々でした。
土曜日は、掃除・洗濯・アイロンがけ、食糧買出しと水泳に明け暮れ、日曜日に突入。

朝は、東京中央図書館に行き、調べ物。その後、10月第一日曜が「国際協力の日」に因んだグローバルフェスタが日比谷公園で開催されていたことと、他の用事で日比谷公園に向かった。

Glofes2010 まず、銀座で2つばかり所用を済ませ、日比谷公園へ。最初は、職場のブースに挨拶に行く。担当の職員たちは、てきぱきと仕事をしていた。

次に、若者の国際交流を支援する団体さん、ヨルダン大使館と共催で交流プログラムを10月24日に企画しているので、各担当者と会場内の芝生に座ってミーティングをした。メインは、ヨルダン人留学生、日本の高校・大学生にそれぞれの国の料理の調理をお互いに教えながら、それぞれの国の歴史や文化を共有してもらおうという狙いだ。イベントの実施については再来週のこのブログで報告したい。

ミーティング終了後は、パレスチナとケニアのブースで食べ物と飲み物を調達し、偶然会った大阪の協力隊OBたち何人かと雑談した。さすがに東京で開催の国際協力イベントだ。大阪の「ワンワールドフェスティバル」よりは人が多く、会える人も全国規模だ。大阪からも人が来るのだ。

翌月曜日は、たまたま東京電力の自然学校のツアーを申し込んでいたものが当たって参加した。目玉は3つ。ダムとしては国の重要文化財となった丸沼ダムの見学、尾瀬国立公園内を散策して植物等の学習、地元名物の昼食である。

朝、4時半起きで5時に出発。半分寝たままで集合場所の群馬県沼田駅に向かった。そこからマイクロバスに乗り、尾瀬国立公園隣接の尾瀬戸倉東電自然学校でスライドでの説明を受け、展示物を見た。この学校のある片品村は、20数年前4回ほど尾瀬に山スキーや登山に行った際に通過している尾瀬の入口の村だ。

こじんまりとしているが、尾瀬の自然の貴重さ、保護の大切さが学べた。また、生きたままの動植物の展示も興味深かった。このツアーの様子は近々ネットで公開されるようなのでhttp://www.tepco.co.jp/eco/ns/index-j.htmlでご覧下さい。

2010100401 座学の後は、昼食。名物「そば定食」をいただく。十割りそば?に舌鼓を打つ。そしてメインの丸沼ダムへ。このダムは戦前の昭和6年に完成したバットレス式ダムだ。当時は材料費よりも人件費が安かったので、この方式になったそうだ。全国的にも8基しか建設されなかったそうだ。

現代では安全性を最重視するので材料を節約することはあり得ないそうだ。でも、今後日本の経済の低迷が数十年続くことがあれば、この方式が復活するのかもしれない。それはそれで寂しいことだが。

2010100402 丸沼の下流域の大尻沼に映えるダムは美しかった。その大尻沼を回り込むように自然林の中を散策した。この日生憎の雨だったが、霧が湧いたり、消えたりの中の散策は楽しく、自然学校の職員の説明は勉強になった。本当に尾瀬の自然は素晴らしい。1時間余りで散策は終り、あっという間にツアーは終わった。途中、お土産屋に寄ったが、手作り味噌と梅干しを買った。〆て650円。お安く、お得な買い物ができた。

沼田駅で解散し、普通列車を乗り継ぎながら4時間かかって帰宅した。なかなか充実した週末だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

9月SW日記

 5月連休のGWに対抗して9月はSW(シルバーウィーク)という言葉が定着しつつあるのだそうだ。個人的にはあまりピンと来ない。

さて、9月は飛び石を一つ埋めて9月22日夕方から帰阪した。3月に大阪主催で開催された青年海外協力隊近畿ブロックOBOG交流会が(日記にも記している)京都主催の今年度は9月開催ということだったので、会に参加することが主たる目的であった。

もう一つの目的は『老眼鏡』を作ること。最近、文庫本や新聞の細かい字が見えにくくなってきており、強度の近眼だったので50歳になるまでごまかせていたものが、遂にごまかせなくなったのだ。

中学1年の時からメガネをお願いしている天王寺のメガネ屋さんに行ってきた。先代は数年前に逝去され、若旦那(といっても私より少し年上)の代になって久しい。

私が13歳の時、初めて作ったメガネから2年前に作ったメガネまでのデータ全てが記録されているのだ。若旦那は「とうとう老眼鏡になりましたか。お互い歳とりましたな。」と感慨深げであった。

さて、交流会の話に戻るが、京都北部を流れる由良川の源流ツアーを会の翌日に行うということで京都府南丹市美山町が会場だった。60名の参加者で、とても楽しい時間を過ごせた。

2010092501 プログラムの1番目は、ホストである京都府OB会長の講演で、要旨は、以下の通り。

・会長が協力隊参加した時は、まだ、帰国隊員が誰もおらず、情報が本当に少ない中の訓練、派遣であった。

・ご自身、訓練終了後もアフリカ初の派遣なので後から訓練を受けた人が先に赴任し、隊次としては2隊次後ろにずれ、訓練を3回も繰り返した。(今からでは考えられないことで、訓練を3回もさせる事務局の意図がわからない)

・ケニアに赴任してからは、マサイ族の居住地域での活動(測量)だったそうで、フィールドでの活動は過酷(テント暮らしで夜間火を絶やさないようにしないと野生動物に襲われる可能性があった)だった。

・特に最も印象に残る出来事としては、マサイの葬儀に遭遇したこと。様々な国で色々な葬り方がある中で、マサイは死期の近づいた老人は、ヤギ1頭をくくりつけ、夜中の平原に置いてくるそうだ。翌朝には、ハイエナ、ライオン、禿鷹などに食べられて骨しか残らない。その理由は人間も動物であり、生きるためには他の生き物を食べている。だから死ぬ時は、アフリカの動物や大地のために死ぬのだと。

・そのような様々経験から最初は野蛮なアフリカだと思っていたが、アフリカが好きになり、アフリカのために頑張りたいということで隊員、専門家と合計7年間ケニアで活動された。

・しかし、一時帰国などで日本の国土が変わっていく様子が次第に気になってきた。農地の大規模開発、川の改修、道路の整備などで豊かな自然が失われていく様子に将来の日本が心配になった。

・帰国し、福知山で定住する中でOBとして地元の人たち、留学生、JICA研修生そしてOBの交流の場「国際ふれあい農園」の開設、それに伴う収穫祭の開催、「めだかの学校」の推進し、今取り組んでいるのは、「由良川」に鮭が帰ってくることを推進する運動だそうである。由良川は日本(世界?)最南限の鮭遡上の貴重な川だそうである。行政は予算不足から鮭の稚魚の育成を最近止めたことから、今後鮭遡上数が激減の可能性が高いため、市民で何とかしたいとの思いで活動されているようである。協力して下さる家庭に稚魚の放流できるまでの育成をお願いして、3月に放流するというもの。(行政が放棄したことのフォローという難事業に挑んでおられる姿に頭がさがりました。)

体当たりで人生を切り開いている貴重な先輩の生き方を聞き、自分が今後どうしていくべきなのか考えさせられた。

2010092502  講演の後の2番目のプログラムは、参加者全員でBBQを楽しんだ。生麦酒のサーバが出てきたのには驚いたが、中南米料理やアフリカ料理も出てきてOBの行事らしい、また、それぞれの自己紹介も楽しい催し物だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »