2010年9月12日 (日)

えいごのテストと昔の事件

 今週は仕事面では、地味なデータ収集。コンテンツのシナリオは進まない。本当にしんどいが、少しずつ進む。

 週末は、日曜日のTOEICの準備をするつもりだったが、あまり進まなかった。本当に英語は苦手だ。(これでよく国際協力の仕事しているなとは言わないで下さい。一応、仕事として必要最低限は読んでしゃべれますので・・・、意識の問題です。)

 そして、当日。何と言うのか。いつも苦手にしているListeningのPart2はかなり聞き取れた。通勤時間に模擬試験のPart2を聞き続けた成果が出たようだ。

 でも、得意のPart3が何故かボロボロ。上手くいかないものです。Readingはいつもより回答数が行かなかった。最後は10問残して、決め打ちのマーク。今回はCのマークが10個並んだ。

 これでは、おそらくいつもの点数くらいまでしか行かないだろう。目標のスコアは難しいような感じがした。あーあ。

 肩を落として帰宅。午後4時半だが、やけくそで早めの夕食。冷蔵庫のものを適当に5品並べて、発泡酒を飲みながら食べる。仕上げは、炊きたてご飯に、自然薯と生卵をかけて食べた。

 その後は、何故かデータ収集中に引っかかった本でアマゾンで注文して昨日届いた「天空の星たちへ」を貪り読む。一気に読めた。

 この本は、25年前の日航ジャンボ墜落事故について書かれた本だ。著者は元JALの客室乗務員さん。彼女自身は国際線乗務だったが、新入社員のときは国内線で、事故に遭った乗務ローテーションチームの一員だったことがあって、亡くなった親しい仲間のことを想いながら遂に世にこの本を送り出された。

 内容はショッキング。ある意味新聞記事だけを証拠として事実だけを積み上げているのだが、事故原因に作為があることがかなり明らかになっているように感じられるのだ。愛する仲間が非業の死を遂げているのだが、すっきりしない結論付けに納得できずに新聞記事から丹念に証拠を集めたものなのだが、私もこの本を読んで、この事故は、当時のマスコミに操作されていた疑いが濃いことが判った。何かが隠されている。

 うかつだった。マスコミが意図的で信用できないことは、何度かの途上国での国際協力で暮らしていた時の様々な出来事で判っていたはずなのに・・・。

 日航ジャンボ機事故の当日、私は弟と山岳部の先輩と3人で事故のあった県、群馬県の谷川岳の壁を攀じていた。順調に登り終え、新潟県に嫁いだ従姉の家に弟と一緒に訪ねた。午後6時50分に着いた。従姉の旦那さまと「まぁ、一献」という時に7時のNHKニュースが世界最大の航空機事故を告げていた。それからは目がTVに釘付け。ショックだった。

 後でわかったことだが、私の婚姻届の証人であり、披露宴の主賓である、人生の師匠Oさんは、この事故機JALに搭乗するはずだった。彼は空港チェックイン寸前に突然、言いようのない腹痛に襲われ、どうしても我慢できず、搭乗しなかった。仕事の同僚2名は、そのまま搭乗されたそうだ。あの我慢強い師匠が乗るのを断念する腹痛とは何だったのか。師匠の強い運を感じる。しかし、それが運命を分けた。私にとっては父が亡くなってからの父代わりの師匠が助かったことに安堵し、小躍りするほど喜んだのだが、そんな問題ではなかった。

 従姉の家に数日やっかいになってから会社の寮に戻った。その時知ったのは同じ独身寮の先輩のお父上が搭乗していて先輩は事故後、会社を休んでご遺体が確認できるまで、川崎から群馬に通われていた。

 かように非常なインパクトがあった事件であった。

 本の著者は、再度事故の原因調査をすべきとされているが、真実は明らかにしなければならないだろう。しかし、呆れたのは当時の首相中曽根の行動だ。今の時代なら即、支持率が0%になり、首が飛んでいただろう。ハワイ沖の米潜水艦と日本の水産高校実習船衝突事故の時の森首相の対応より酷い。何で問題にならなかったのだろう。考えられない緩んだ時代。金に呆けた時代だったのか。

 いい本を読めた。でも、著者の名文に気持ちが同調してしまった。本当に心が痛い。今更ながら、亡くなった方々に心より哀悼の意を表します。

本書の解説のサイトはこちらへ。

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2010/0412.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月11日 (土)

9年ぶりの夏山縦走

 週末は、台風一過とはいかなかったが、F社山岳部の夏山行に17年ぶりに参加した。

 夏山縦走としては、JICA二本松訓練所でヨルダン協力隊OBの集いの前に飯豊山に行って以来9年ぶりだ。前回の縦走に比べ体重は10kg近く増え、また、台風5号の行方が混沌としており、最初は行けるかどうか心配だったが、取敢えず金沢行き夜行バスに市役所の元部下のMさん(春に他部署に移動)と一緒に乗り込んだ。

 朝5時に金沢駅に到着。台風は東北方面まで抜けていて、金沢は曇り空であり、山登りには微妙な天気だった。6時に東京から来たTさん、Mさんと合流した。明日からは快晴ということが判っており、登山口でルートを決めようということで、朝食をコンビニで買い込み、6時45分のバスに乗り込んだ。

Breakfast20070804 Mtentrance20070804  私は地元名物の押し寿司とマス寿司、山菜おにぎりを買ってバスの中で食べた。8時半に登山口に到着した。台風情報やこれからの天気予報を見て、計画通り、別山ルートで登ることになる。水を補給し、登山センターで高山植物のパンフレットをもらい、9時に出発した。

Climmt20070801 Climbmt20070802 Climbmt20070803  曇り空の中、歩き始める。最初は林道を行き、やがてブナの原生林の登りになった。ぱらついていた雨は本格的に降ってきた。雨具を着たが、原生林では、ブナの葉が傘代わりになり、殆ど雨粒は身体にかかってくることはなかった。森の偉大さを感じた。傾斜は急になり、息がはずんできたが、軽い休憩を取りながら、ゆっくりと登り続けた。

Climbmt20070804  約4時間で稜線に出て避難小屋で昼食。雨を避けられ、ほっとする時間であった。昼食後、さらに登る。森林地帯を抜け、背の低い這い松地帯に来ても雨が降り止まない。靴が完全に濡れてしまった。汗なのか、雨なのか、下着までびしょ濡れだった。

Climbmt20070805  そんな中、ようやく本日の目標である別山(2,399m)山頂に到着した。登山口からの高度差は1,600m。辺りは真っ白で殆ど景色も見えなかった。写真を何枚か撮り、そそくさと宿泊地の南竜ヶ馬場に向かった。

 テントサイトまでは遠く、またアップダウンが北アルプスの山よりも大きく、体力をドンドン消耗していくのが分かる。木道が伸びる池塘にまでたどり着いた時、標識に南竜ヶ馬場とあった。だが、テントサイトまで最後の登りがあり、重い足を引きずるようにしてようやくたどり着いた。18時だった。9時間の行程は、久しぶりの山行にしては厳しいものであった。5人用テントを素早く設営し、中に入る。

 雪山賛歌「♪~煙いテントも黄金の御殿」のフレーズが思い出される。テントに入ってしまえば雨露がしのげて、暖かく、快適だった。程なく、今回のパーティリーダーのTさんが、管理事務所からテント設営の手続を終えてテントに帰ってきた。手にはビールが。

 汗を出し切ったときのビールは最高だ。渇いた喉をビールは胃袋に滑り降りていく。持参の「柿の種」と「たらのすり身のつまみ」を出して、皆でつまみながら、ビールを飲んだ。

 その後はそれぞれ持参の酒をシェアしながら、延々と話をした。我が山岳部は、厳しい山行のときほどテントの中の宴会は盛り上がるのだった。ツマミとも夕食ともつかないまま、持参の食糧をシェアしながら、これまでの合宿などで大変だった山行の思い出を語り合った。夜も更けた。明日も長い行程があるのでいつとはなしにシュラフを出して眠った。

 翌朝は、6時起床。昨夜の疲れか、飲みすぎか、大抵夏合宿の場合、4時起床であるが、6時になってしまった。昨日とは打って変わって快晴だ。テントから這い出し、それぞれが調理し、朝食を摂る。

 山にしては遅めの7時半過ぎの出発だった。私はすでに筋肉痛だった。ここから白山山頂には沢山のルートがあるが、最も距離の短いルートを登った。途中、高山植物が咲き乱れ、朝の柔らかい日差しが心地よかった。しかし、昨日の厳しい山行のため、早速足が筋肉痛、また靴は乾かず、グチョグチョのまま歩くのは辛かった。

Climbmt20070806  ほぼ、予定通りの9時半頃に白山手前最後のサイト室堂に来る。ここで大休止。白山神社の若い人たちがほら貝を吹いていた。霊山の登山の雰囲気満点だった。そして、山頂までの最後の登りに入った。

Climbmt20070807 Climbmt20070808 Climbmt20070809 Climbmt20070810  ジグザグに尾根筋を登っていく。途中植物をデジカメに収めながら、登る。ジワッと汗が出てくる。昨日の疲れか、濡れた靴のせいか、足が重い。だが、とうとう加賀の白山山頂に到達した。パーティの皆と握手。これまで、殆どの日本の高い山を登頂してきたが、白山は手付かずだった。いつかはと思っていたが、この年齢になるまで行かないことになるとは考えていなかった。

Climbmt20070811_2 Climbmt20070813 Climbmt20070812 Climbmt20070814 Climbmt20070815 Climbmt20070816  山頂で大休止の後は、下山開始だ。火山口構造で山頂付近に池が点在する白山なので、お池めぐりしながら、中宮道という尾根沿いの登山道を下ることになった。下山のコースは、ガイドのコースタイムが11時間、距離20km高度差2,000mという長大な尾根筋ルートだ。本日の目的地は、登山口までの中間点の避難小屋だった。既に筋肉痛の足にはきついが、景色 の雄大さが暫し苦痛を和らげてくれた。…などと余裕をかませていたのは、途中の谷筋までであった。

Climbmt20070817  尾根筋が森林地帯に入ると足場も濡れて滑りやすくなり、また、人のあまり利用しないルートでいい意味では野生的な道であったので、足のダメージがドンドン大きくなってきた。

 朝の出発時刻から10時間余り、膝が痛くなり、これはやばいかもと思われたとき、ようやく避難小屋にたどり着いた。

 ぐったりと小屋ではへたり込む。夏山縦走は本当に堪える。パーティ全員が疲れ果て、それぞれ小屋の板張りの上で倒れこんだ。もっともTさんやMさんは水場に水を汲みに行く余裕があったのであるが。

 1時間ほど休憩した後、それぞれ手持ちの酒をちびちびやりながら、夕食を作り始めた。大阪組はアルファ米とレトルト中華丼、インスタント味噌汁、ほうれん草の御浸しで、東京組みはそれぞれレトルト食品だった。結構満腹となった。

 それからさらに少なくなった酒を水割りにしてちびちびやりながら、今回の山行を振り返ったり、山以外の趣味の話、それぞれの自作コンピュータ自慢(やっぱりF社の人間はコンピュータ部門でなくても(山岳部は何故かコンピュータ部門の人間が少ない)コンピュータ好きであることが判明したのが面白かった)、山の話など話題が尽きることはなかった。これが職域山岳会の楽しさなのだ。

 翌朝5時起床、昨日よりは早起きができた。足の筋肉痛はピークだった。用足しに行くのが辛かった。朝食の博多棒ラーメンとチャーシュー代わりの魚肉ソーセージを切り入れ食べる。6時半に出発。

Climbmt20070818  今日はコースタイム5時間20分の行程だ。泊った避難小屋から登山口まで距離10km、高度差1,100mの下山だった。途中、朝露たっぷりの笹畑を藪漕ぎしたり、その笹の葉が朝露で濡れている。お陰で、靴が再びぐしょ濡れなってしまった。その他では、ガレ場のような下り道、小さなアップ等があった。高度が下がってくるので気温が上がってくる。本来汗かきの私のシャツはびしょ濡れだ。足の具合も最初はよかったが、徐々にダメージが大きくなってくる。最後の休憩を取ってコースタイムでは1時間の下りと思っていたら、最後は30分で登山口に出る。何とか限界までは来なかった。11時30分になっていた。5時間の行程だった。

Climbmt20070819  全員で無事下山できたことを喜んで堅い握手を交わす。長い長い(実は白山登山では最も長い距離のルートだった)縦走は終わった。後は温泉で汗を流し、地元の山菜料理などビールとともにいただいた。

Climbmt20070820 Climbmt20070821  タクシーでローカル私鉄の北陸鉄道の鶴来駅まで行き、JR西金沢駅までいった。30分ローカル列車の旅はなかなか楽しかった。JRに乗り換えて金沢に戻った。まだ、東京組、大阪組とも予約していた帰りの列車やバスの発車まで時間があり、市内観光に出た。観光循環バスに乗ったときにスペイン人のグループがいて、兼六園への行き方をスペイン語訛の英語で聞かれた。私は最近検定試験に合格したスペイン語(初級ではあるが)を交ぜた英語で説明した。

 金沢城と兼六園をざっと見て、金沢に出張でよく行くというM先輩の紹介で地元の魚を食べさせてくれる居酒屋に行った。地元の酒、地元の肴、太い梁のお店のBGMはジャズ、モダンと伝統が洗練されたいい店だった。最初はエビスビールで乾杯。宴会は列車出発時間ギリギリまで続いた。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2006年6月30日 (金)

やっぱり、遅れたCA

 いよいよモンゴルとお別れの日。日本センターに向かう。朝礼に出席させてもらい、お礼の挨拶をした。往路のこともあったので、北京空港の国際線の出発状況をモニターした。この日は全ての便の出発時間が30分から2時間遅れている。あかん、中国は天候不順なのか、まともに飛行機が運航されていない。今回は、乗換えが1時間半程度なので、嫌な予感がした。

 ところが、私の搭乗するCA902便は例のCA901便が折り返すものだが、一番ましな30分程度の遅れで出発したことが確認できた。そこでほぼ予定通りに出発できるものと信じて、最後に所長に挨拶に行く。そこで所長は、私の車の買い手の提示金額から、私の帰国中に取り替えたショックアブソーバーと車検と今年度の自動車保険の費用を差し引いた金額を手渡して下さった。

 昨年買った中古ランドクルーザーが買値の約半額で売れたことになる。多少は損したかも知れないが、現金回収が今回の大テーマの一つだったので、それでよしとすることにした。場合によっては、回収できないかも知れなかったからだ。

 30分遅れを見込んで途中、メルクーリ・ザハに行き、岩塩の塊を買った。これを土産にするつもりだ。適当な大きさに割って配れば天然ミネラル豊富なモンゴル塩は喜ばれるはずだ。

 人の良さそうなおばちゃんから塩を買い、空港に向かった。何人かの協力隊員たちがいた。誰か、帰国するのかな? 軽く会釈して、空港ビルに入った。ドライバーAに今回の給料を支払い、アパートの鍵を渡し、握手で別れた。

 さて、多少トラブルめいたことはあったが、決定的なものはなく、無事荷物を預け、出国審査を終えた。後は、出発時間を待つだけだ。

 と、顔見知りのモンゴル隊員の女性がいた。泣いていたのか目が赤かった。きっと感動的な別れがあったのだろうなと思った。アフリカで調整員をしていた時、帰国隊員の航空券の手配の手伝いや空港までの見送り担当だったので、いい活動をしていた隊員は、見送りの人も多く、女性隊員の涙、涙の別れのシーンは度々見ていた。この隊員もきっといい活動をしたのだろうなと思った。

 北京出発が、30分遅れだったのでこちらも30分遅れになるのかと思っていたが、奇跡的にほぼ定刻通りに離陸できた。CAにしては奇跡的なことだった。これで乗り継ぎに失敗することはほぼなくなった。

 2時間足らずで北京に到着。以外に機内食も行きと異なり、最悪ほどではなかった。決していいとは言えないが。

 トランジットでは、前回3月の帰国時北京で揉めたが、一応システムは理解出来たのでトランスファーチケットも問題なく手配でき、訳の判らんトランジット客用の通関も無事越えた。UBから一緒だった隊員も一緒にトランジットエリアを通過できたようだった。乗り継ぎ便の出発までまだ、1時間20分以上あったので、その隊員と時間潰しにお茶することになった。

 北京空港内のスターバックスに行く。値段は日本より高かった。隊員との雑談の中で今回、調整員が見送りに来なかったことを知った。私は呆れて、非常に不快な気持ちになった。

 その隊員は孤児院で孤児たちと任期延長までして一緒に活動した功労者だ。何の理由があるのかしらないが「用事ができたから、ドライバーだけ送るから」と言って放ったらかしにできるのか。そいつはオオバカ野郎だ。同じ調整員だった私には理解できない行動だった。最低限の礼も出来ない奴。

 成る程、最近の調整員の質の低下が著しいとは聞いていたが、どうもそれは本当のようだ。再来週、私は調整員募集に応募したい人たちのセミナーの講師をすることになっているので、この事例は悪いことだと話して二度とそんな輩がでないようにするしかないなと感じた。

 彼女の話を聞きながら、この隊員はいい活動ができたこと、現地の人といい人間関係が築けたことが理解できたので、私なりに評価とお礼の言葉を言った。

 私の乗る飛行機の離陸時間40分前になった。東京行きの彼女と別れ、大阪行きの搭乗口に向かった。他の搭乗口は人が並んでいるのに、あまり人がいない。変だなと掲示板を見ると1時間10分の遅延表示が出ていた。あーあ、またかぁ。

 仕方なく、免税店巡りをすることにした。中国では買い物したくないので、見るだけだった。遅延出発時間の30分前になったので、ゲートに行くが、まだチケットのモギリは始まっていなかった。更に遅延することは決定的だった。

 結局、飛行機は2時間遅れで離陸した。これは非常に微妙な時間で下手をすると関空から帰宅できない可能性があった。本当にCAは訳の分からん航空会社だ。絶対に二度と利用したくないと思わざるを得なかった。しかし、なんでANAはこんな会社とコードシェアをしているのだろう。JALも不具合が多いし、日系航空会社は、利用し辛くなってしまった。

 関空に到着したの時間は、特急を使い大阪市内に入れば、最終くらいで自宅に帰れそうだった。ただ、最寄り駅からのバスは終わっている。CAは運賃が安いと思ったが、安かろう悪かろうの典型で結局時間を無駄にし、気分が悪く、余計な金がかかるだけ損だということが今回の旅の結論だ。

 ただ、モンゴルでの生活は遣り甲斐があり、充実していたので、いい旅だったと言える。これで、しばらく海外に行くことはあるまい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月28日 (水)

最後の講義

 日本センターに行き、Webサーバーを見るが特に問題なかった。センターホームページのアクセスカウンターは相変らず、動作していないが、表示が×からerrorとなっている。プロバイダーさんが、遠隔操作でWebサーバーに何か処置をしたようだ。しかし、カウンターが出ないことには変わりない。どうしたら復旧するのか、暗礁に乗り上げたまま。非常に困った。

Dsc01015  午後になり、対応策が取れないまま、USI社に行った。今日は最終日だ。準備をして、午後5時半から昨日のUMLの続きを行った。午後7時が過ぎ、講義を締め括った。社長のBさんから記念品を授与され、記念写真を皆で撮った。これから、この人たちの技術力が上がることを期待したい。

 夜は、モンゴルに来てようやく食事する機会を持てた。Kさんとセンターの日本語専門家Sさんと日本風居酒屋「さいとう」に行く。楽しくおしゃべりの時を過ごした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月27日 (火)

すっぽかし

 昨夜の夜遊びが祟り、かなり起きるのが辛かったが、センターに向かう。何本かのブログをアップする。お昼に隣の韓国ファーストフード店に行き、ウコンの色である黄色のついたカレーラーメンを食べる。先に来ていたスタッフBさんも同じカレーラーメンを食べていた。彼女にウコンの効用について説明した。

 午後はUSI社に行く。今日はオフショア開発の発注元の日系企業の幹部が視察に来る。日本人は3名来た。一人偉そうにしている人間がいたが、何だか子会社で威張っている親会社の人間のように見え、あまりいい感じはしなかった。

 USI社社長のBさんが、私を呼んだ。3人の日本人を紹介するためだった。最初、彼らは胡散臭そうな目つきで私を見ていたが、元JICA専門家で7月から市役所の課長になると言った途端、態度が変わった。それにしてもあまり、いい気持ちはしなかったが、一応、愛想を振りまいておいた。

 しばらくして、B社長は、日本人を観光村に連れて行くといって彼らを社外に連れて行った。やがて、17時30分になり、授業を行う。

 今日は、彼らが現在使っているソフト設計書のUMLについて話をした。彼らは、詳細設計工程から先の工程を請け負っているのでシーケンス図など数種しか、UMLのダイアグラムを使っていない。要求分析工程から、テスト工程まで13種のUMLダイアグラムがあり、必要なものを取捨選択して設計書を作成するという話は、興味深かったのか、質問が出たりした。今日は、今までになく沢山の受講生が来た。やはり、仕事に直結する話には、皆喰らいついてくる。

 19時を過ぎ、センターに行き、調査団コンサルタントMさんを待つ。今日、作業が一段落するので一緒に飲みたいと言われていたからだ。Mさんは協力隊の同期隊員だった。センターには、調査団に同行しているS職員のご主人Fさんも待っていたので、しばし雑談に興じた。Fさんの携帯電話が鳴る。Sさんの仕事が終わったようだ。だが、待ち合わせ場所が違っていたと言って、F氏は日本センターを出た。

 私もこれはMさん宿泊のホテルで落ち合った方がいいかと思い、センターからチンギスハーンホテルに向かった。レセプションでMさんの部屋番号を聞き、電話する。が、出ない。レセプションで聞いたら、まだ帰っていないと言う。しばらく待っても帰ってこないので、一旦帰宅することにした。きっとその内に携帯電話に連絡があるだろうと思ったからだ。

 帰宅して待ったが連絡がない。仕方ないので、ちかくのレストランに行くことにした。飲み屋は22時以降も空いているが、食堂は閉まる店が多いからだった。そこで頼んだのは、またもやカレーだった。今回はカツカレーだ。

 21時に食堂を出て、国営デパートに行く。日本へのお土産物の買い物をした。途中、B社長から電話があった。どうも、3名の日本人の接待でモンゴル唯一の日本人クラブβに連れて行ったが、料金の支払いで何かあったようだ。某日本人から聞いていた値段を言ってあげると「そうですか」と言って、電話を切った。彼にしてみたら痛い出費だったのかもしれない。あそこは、日本値段なので、モンゴル人からしてみたら、気違い沙汰だ。

 結局、Mさんから連絡なし。すっぽかしにあったようだ。こちらも限られたスケジュールを空けていたのに。これなら、断っていたモンゴル人との夕食に行けばよかったと思ってしまった。まぁ、こんなこともあるのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月26日 (月)

スタッフとの飲み会

 朝、いつものように日本センターに向かった。が、いつもと違ったのは、日本センターホームページのカウンターが動いていないということだった。早速、調べてみると6月22日の木曜に動かなくなっていたことが分かった。その日は契約プロバイダーの会社の人間が来て、Webサーバーに何かしたと言うことだった。

 そいつが何かしたに違いない。しかし、見た目は必要なソフトやファイルがあり、何が悪いのか判断できなかった。頑張ったが時間切れとなり、USI社に出向く。ついでに両替と帰国便のリコンファームをした。後は金曜日キチンと飛んでくれるかどうかだが。

 夕方からは、授業。CMMとCMMIについて話す。受講生達はCMMIの名前は知っているようであったが、実体は分からなかったようだ。カーネギーメロン大学のソフトウェア工学研究所のHPには、膨大なCMMIに関するドキュメントがあるが、私なりに必要だと考える部分を抜き出してエッセンスを話した。モンゴル人エンジニア達にも英文読解の挑戦を奨めたが、ページ数を聞いてしり込みしていた。

 講義を終えて、日本センターに向かう。在任中、1ヶ月に1回位現地スタッフたちと飲み会をしていたのだが、久し振りに飲み会をすることになったのだ。会場はアイリッシュパブということだった。最初、センターでまっていたAとTと一緒にUB最初に開店したアイリッシュパブに行く。IT担当の新人君が待っていたが、他のスタッフがいない。あれっという感じでTが、幹事のEに電話する。そこで場所違いが判明。昨年夏に開店したMCS社経営のアイリッシュパブが正解ということだった。

Dsc01013  皆と飲むのは4ヶ月ぶりだ。色々な話を楽しんだ。所用があった他のスタッフ達も三々五々集まり、ほぼフルスタッフが集まった。皆との雑談は楽しかった。日がくれてきた(22時)ので、お開きにして、何人かとディスコ・ストリングスに行った。ここも久し振りだ。最初は閑散としていたが、12時過ぎには混んできた。私は、昨日の疲れもあり、1時過ぎに退散した。スタッフ達は、まだ踊ると言う。その体力に驚きながら帰宅した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月25日 (日)

モンゴル釣旅行2回目3

 朝8時過ぎの起床となった。テントから這い出てみると?。

 ない・・・。吐しゃ物がない。影も形もなかった。

 どうやら近隣の動物が後始末したようだ。それは、それで怖いと思った。北海道などでは熊が来るから残飯を国立公園内などで放置しないように言われているが、モンゴルには狼もいるのだから不用意なことをしてしまったと反省させられた。しかし、全く何もないのは、昨夜吐いたのは、夢なのかと思えるほどだった。

 ここではっと気づいた。そうか、吐いたのは馬乳酒が原因だ。モンゴル人もシーズン初めの馬乳酒にあたって下痢や嘔吐をするという。彼らはそれで胃腸が洗浄できてきれいになったというのだ。2回目からは免疫が出来て大丈夫と言う。結構なものなのだ、馬乳酒は。昨夜、胃の中が空っぽになったためか、便意ももよおさなかった。

 ということで空腹だった。朝食はおいしくいただけた。食後、昨夜釣った魚を所長に見せる。「これは、ハリウスだね。」と仰った。ハリウスは、銀色の姿が美しい魚で和名はカワヒメマスというそうだ。刺身が美味いとは、後で調べて知ったこと。

Dsc00991 10時に帰路につく予定であったが、時間があったので再度釣りに出かけた。1時間の挑戦であったが、川の濁りは相変らずで、ボウズだった。テントサイトに戻るとドライバーAがハリウス汁を作っていてくれた。自分の獲物を食する楽しさを味わいながら、帰宅準備のため、テントの撤収を行った。

Dsc01000  所長もあと1ヶ月足らずで任期が終了し、今後多忙で郊外に出るチャンスも殆どないので景色のいいところに停まっては、写真撮影しながらの帰路となった。大鷲の写真や野ねずみ、そして馬と牧民、雄大な草原の写真を撮ることができた。

Dsc00995

Dsc01006

 予想より早く、17時過ぎにUBに着いた。アパート前でドロップしてもらった。洗濯をし、後片付け、シャワーを浴びても時間があった。そこで、足裏マッサージ屋にいった。身体も合わせて2時間マッサージを受ける。旅疲れが大いに癒された。これで、32000Tg(3200円)は安いと思った。

 帰宅して、買い置きのご飯を炊き、冷蔵庫に残っていたものの在庫処分を兼ねてオカズを作った。これで、ほぼ冷蔵庫は空になり、いよいよ帰国体制が整いつつあることを感じた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月24日 (土)

モンゴル釣旅行2回目2

 朝5時過ぎから雨が降り出した。しばらく降り止まない。見切り発車で出発する。まず目指すのは温泉街ホジルトだ。ここは旧共産主義政権時代から温泉療養のため開発され、当時の政府高官たちが飛行機に乗って保養に来たそうだ。名残の飛行場の柵がいいのか、今では馬の放牧地のようになっている。

 さらに奥に50km程行ったあたりのオルホン川原にテントを張った。遊牧民のゲル以外、何の人工物もない世界だ。先週の森林とは釣って変わった景色だが、大自然の只中にいることは確かであった。テントを設営し、早速昼食を摂る。釣行の準備を整え、いざ出発。

 テントサイトから川を下る。何度投げ入れても反応はない。諦めて上流へ行くが、やはり、アタリは全くない。どうも朝降った雨で普段は透き通っている水が濁っているのが原因のようであった。3時間位頑張ったが、まったくダメだった。昼寝をし、夕立をやり過ごし、2時間位休憩して、夕方(といってもモンゴルは、22時過ぎが日没だが)の釣行に出た。今度は最初から上流に向かう。途中から所長を追い越し、断崖の真下の岩をトラバースしながら、適当なところで水際まで降り、キャスティングしながら川を遡って行く。しかし、全く無駄な努力だった。21時になり、流石に空腹になったので崖をへつりながら、崖上の草原に登り、テントサイトに戻った。

Dsc00987  遅めの夕食を摂り、缶ビール1本と近くのゲルから調達してきた今シーズン最初の馬乳酒を100cc位飲んだ。暗くなり始めた22時にテントの前の川原で釣を再開した。かなり暗くなった時、少し手ごたえがした。と、魚が跳ねた。やっと釣れたぁ。車のところまで竿に釣るしたままで持ってきた。銀色が目立つ見たことのない魚だった。兎に角、ビニール袋に入れた。それで、本日の釣は終了することにした。

 夜中目が覚めた。物凄い吐き気がした。普段からしたら殆ど飲んでいないのにどうしてと思いながらテントから這い出る。1歩、2歩、グェー。3歩歩けなかった。5回吐いた。飲みすぎ以外で吐くのは、ここ10年なかったことだった。

 何ではくんだ?不思議でしようがなかった。しかし、涙目で上を見上げると見たこともないほどの満天の星。私の人生の中でトップ3に入る程の満点の星だった。アラブの砂漠、アフリカの草原、ケニア山頂、日本の山等数々の星の名場面の中でも本当にトップと言っても過言でないほどの美しさだった。半袖では耐えられないほどの寒さになってきたので、星の鑑賞は終わりにして、テントに戻った。

 吐き気対策の薬を飲んで再び眠った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月23日 (金)

モンゴル釣旅行2回目

 4時。目覚まし時計に目覚める。寝ぼけまなこで、W杯の日本の勇姿を見る。ブラジルの厳しい攻めに日本はよく頑張った。特に川口選手は、怒涛のシュートに立ち向かいゴールを割らせない。そして遂に日本の先制点。前の2戦に先発することがなく、3戦目にして先発出場の玉田選手のゴールは唯一のシュートチャンスを生かした素晴らしいものだった。「やったー」と思わず声を上げてしまった。その後、ブラジルの猛攻をしのいでいたが、前半ロスタイムにシュートを決められてしまった。やはり、ブラジルは甘いチームではないようだ。

 後半戦、ブラジルに2点、3点と取られたところで、もう日本が勝てる見込みがなくなったと、TVのスイッチを切る。特に、途中経過の表示でクロアチアとオーストラリアが引き分けたとあったので、決勝Tは進出は不可能になったこともあり、寝てしまった。

 朝寝から目覚めたのは8時55分。いつもは、9時に家を出ているので慌ててシャワーを浴び、準備したが、家を出たのは、9時25分だった。メールチェックしたとき、10年ぶりくらいご無沙汰のヨルダン時代の友人からのメールが来ていた。非常に驚くとともにプライベートメールアドレスを一貫して同じにしているとこういうこともあるのだなと思った。

 本日の講義は午後2時半からだった。夕方早めに出発しようとの所長の提案で講義を早めにすることにしたのだ。テーマはPMBOK。あらゆるプロジェクトマネジメントを進める上での共通用語を網羅している。本当にアメリカ人は、こういう言葉遊びが好きなんだなと思った。プロジェクトのようなグチャグチャしたものの様々な要素をまとめる上では便利であるが。

 少し行き違いがあったが、夕方5時にUBを出発した。市街の最後の箇所で飲み物などを調達し、郊外へ出る。しばらく行くと舗装道路はグチャグチャになっていた。アフリカザンビアの首都ルサカから西部州に出張した時に近い壊れ方だった。大陸のシャワーが何回か降ると手抜き工事の道路は、すぐに馬脚を現すのだ。道が壊れている区間は中国人が作ったそうだ。

 土の上に厚さ5cmほどのコンクリート処理を施す。作業員は全部中国人。殆どの途上国は国に道路網を整えることが出来ない。中国政府はそういう国に道路を作りますよといい、資材から建設要員まで全て提供するとし、工事するのだが、まともなことはやらないので却って作らない方がましな、土の道の方が走り易いと思えるものを作るのだ。

 ともかく道路破壊区間を抜け出し、多少まともな道を走ったが時間切れ。モンゴル帝国古都ハラホリンに近いツーリストゲルに泊まった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月22日 (木)

モンゴル伝統医療は石を使う?

 午前中は日本センターに行く。SVの方のPCの調子が悪いので見てほしいと言う依頼があったためだが、結局来られなかった。昼の移動中車の温度計を見ると外気は32℃だった。珍しくモンゴルも30℃を越えたようだった。しかし、湿度が低いので日本ほど暑さを感じない。汗も殆どかかなかった。

 昼食はセンターの隣の韓国系ファーストフードでキンバブ(海苔巻き)とキムチラーメン。午後、USI社に行くが、室内は暑かった。80人がPC作業できる部屋は、外気とPCの熱でムッとしている。流石に額に汗が滲んだが、日本の異常な蒸し暑さほどの不快感はなかった。7月の講演用の原稿つくりに励んだ。

 夕方、30分遅れで講義開始、途中激しい夕立が降る。乾燥地帯の国でも普段にない暑さだと雨が降るようだ。品質管理と見積りの手法、リスク管理の概念について講義する。日本のソフト会社のアウトソーシングで開発している会社なので見積もり手法は特に興味があったようだ。かなり質問があった。夕立が激しくなり、雷がドンと鳴ったところで停電に、一昨日に続き停電により講義を終わらざるをえなかった。ここら辺りが、途上国の難しいところなのだ。残念。

Dsc00971  夜は、モンゴル語を習っていたH先生宅に招待されていたので、同じく教え子のF氏と一緒に訪問する。小さい子供がいて、日本から動物の本を依頼されていたので、持参した。子供に喜んでもらえたようで嬉しかった。乾杯し、H先生の手料理を楽しみながら色々な話をした。ご主人は山形大学に留学経験があり、日本語会話は全く問題なく、知識人なので色々教わることが多く、話は弾んだ。

 また、最近F氏はモンゴルの伝統医療に関心があり、特に鉱石治療の研究成果を披露してくれた。ネタ本を古本屋から調達してきて、H先生に内容を確認しながら知識を増やしているようだ。モンゴルの薬草医療と鉱石医療と併せて日本紹介したら、いいビジネスになるのではないかと話は盛り上がった。鉱石治療は万病に対応できるとあるようだ。例えば、アル中は琥珀を首飾りにして身につけると直るとか、肩こりに効く石(名前は失念しました)があり、それを肩に当ててマッサージするとなおるとか、色々あるらしい。少し、胡散臭いのだが、F氏帰国の折には是非日本で本にして普及してほしい?ものだ。

 楽しい時間は過ぎ、帰宅の途についた。W杯の日本VSブラジルを見るために、目覚まし時計を4時にセットし、眠った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)