2012年10月 5日 (金)

1年ぶり近況

前回の大阪マラソン参加から1年近くたちました。生活は激変。

居住地は神奈川から大阪へ、職を失い現在、給付を受けながら、職業訓練校の入校待ち。

一体、1年前にこの状況を想像できただろうか?

何とも言えない。

しかし、人生山あり、谷あり。谷底に落ち込んではいるが、必ず這い上がってやるとの思いは失っていない。

6月末の失職以降、何十社の企業、地方公共団体の選考に落ち続けているが、大学入試、就職の時も落ち続けて、結局唯一合格したところを歩いてきた。

それが、結果的に面白い人生となっているし、落ちた経験は実になっている。さぁ、これからも頑張るぞ。

P.S. 失業期間中にホームヘルパー2級の資格がとれた。訓練校でも5つの資格に挑戦できる。色々、学びたい

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2011年10月26日 (水)

マンボウ逝く

 沖縄出張のホテル滞在中、食費を節約して、割り引かれるお弁当を買いにスーパーに夕方通っていた。

沖縄の鮮魚売り場にはマンボウの切り身が置いてあった。いったいどのように調理するのか興味津々です。沖縄に詳しい方、ぜひ教えて下さい。

さて、本日ニュースでは、一昨日ドクトル・マンボウこと北杜夫さんが逝去されたことを伝えている。

私の世代の殆どが「ドクトル・マンボウ航海記」を読んだと思う。それから狐狸庵老人こと遠藤周作さんとの交友の本も読んでいる人が多いはず。

ユーモアと純文学の2本立ての両作家であった。20年前に亡くなった弟が文学青年で両者の本を貪り読んでいたことを思い出す。私は理系で文学は苦手であったのでもっぱらユーモア本を弟から借りて読んだことを思い出す。それで一時期は船乗りになりたいと思ったこともあった。

弟の大学の卒業論文は北杜夫について書いたと聞いたが、その頃東京で働いていたのでどんなことを書いたのかは知らない。だが、母から論文の中間の評価で担当教授から批判され、怒っていたときいたきりだ。今も実家には北杜夫の全集があるはず。弟が生きていたらどんなコメントを出したのだろう。今頃天国で語り合っているのかもしれない。

年をとって濫読になっているので全集を紐解いて秋の夜長に読んでみるのもいいかなと思う今日この頃である。

北さんのご冥福をお祈りします。

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2011年10月11日 (火)

沖縄出張(ヤギ料理)

 明日、沖縄出張のハイライト、研修生の成果発表がある。ようやく日記を書く余裕ができた。

もともと、5月から半年振りなので何とも言えないのであるが・・・。

写真は、ヤギ料理。
先週金曜日、モンゴルでIT分野での国際協力の専門家をしていたときに沖縄から助っ人で来てくれたF社のOさんが、ヤギ料理を食べてみたいという私のツブヤキに応じてくれたのだ。

Oさんに感謝。ヤギ刺とヤギの血と肉と野菜を炒めた物、ヤギ汁の3品。珍味でした。刺身はにおいがあまりなく、美味しくいただきました。

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沖縄出張

 

9月27日に沖縄入りした。

イラク人のIT政策研修のコーディネータが主たる業務だが、普通のコーディネータと違うのは研修中に講師として講義も受け持つことであった。

結構大変であったが、那覇市、伊江島、名護市、沖縄市、糸満市の様々な施設や学校を見学し、沖縄県のIT振興策を見ることができて参考になった。

研修も残すところ2日、講義も終わり、あとは研修成果の発表会と評価と閉講式。もうひと踏ん張り頑張らなければ。

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2011年5月16日 (月)

山梨出張

金曜日に突然、日曜日の出張を打診された。

今春、青年海外協力隊をはじめとするJICAボランティアの春募集が一旦中止されていたものの、急遽再開が決まった。しかし、従来のような大々的な宣伝はせず、ホームページとメールマガジンと口コミで広報するということだった。

回数を大幅に削減した説明会も開催されるが、どれだけ人が来るのか危ぶまれる。関東近郊の地方都市にして、県庁所在地の甲府にどれだけ人が来るのか、心配だった。

2011051502 説明会は、12時開始。1時間前に会場に行くことになっていたので朝は、少し早めに出た。甲府駅について会場の国際交流センターまで徒歩20分という。南アルプスの雄大な景色を見ながらセンターに向かった。

2011051503 説明会が始まる。10人来たらいい方ですよと山梨県国際協力推進員さんが言っていた。相談員席には、次々と人が来た。最近の傾向なのかシニア海外ボランティアの相談が多い。この日来た唯一の協力隊希望者は「コンピュータ技術」を目指しているという。ちょうど私の専門だ。水を得た魚状態で沢山の情報を提供できた。結局、3時間はあっという間に過ぎた。この日、説明会に募集要項のみを取りに来た人を含め9人の参集者という結果だった。ほぼ、見立て通りの人数だった。

2011051501 一仕事終えて、帰り路をブラブラしながら帰る。甲府駅前の居酒屋でJリーグの甲府のチームが勝ち、気勢を上げている若者に交じり、早時間割引で200円のハイボールを飲みながら、名物「鶏モツ煮」と「地元味噌と生キャベツ」をつまみにしてほろ酔い気分でいい気持ちだった。結局、ハイボール2杯とつまみで1150円とお安く済ませた。

そして、駅に向かう。途中、キオスクで地ワイン1合カップと地酒1合カップ、豆菓子を〆て600円で購入し、帰りの車中を楽しんだ。

ちょっとした小旅行。楽しかったが、明日からは通常業務、ちょっとブルーになった。来週週末は大阪だ。金曜夜に恩師の退官記念のパーティ、土曜日は大阪での協力隊募集説明会とイベント目白押し。大いに楽しみたい。

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2011年5月 9日 (月)

忙しかった連休

 今回のGW2日間の有給休暇を取って10連休にした。
本当の目論見は実家の片付けだったのだが、ほんの一部しか出来なかった。

で、どうなったのかというと

4月29日 午前 GW後半の東北ボランティア活動のための買出し。
      午後 JICA大阪センターにて公開講座となった「世界の宗教」を23年度1次隊の隊員候補生と一緒に受講。先日までお世話になった宗教社会学のH先生の講義を聴く。先生の帰られる時に御挨拶。

4月30日 実家に行き、自分の部屋の本棚の整理

5月1日  午前 母を車に乗せ、京都の教会に
      午後 伯母と母とで介護器具の店に行き、介護ベッドの値段を見に行き、実家に行く。母と叔母は本を箱詰め。その間に義父を迎えに行き、本棚を実家から現在の家に運ぶ。2往復の後、最期に本と伯母、母、義父を乗せて帰宅。夜は両家の家族と一緒に食事。

5月2日  午前 役所に行き住基カードの電子認証の更新手続きと社会福祉協議会でボランティア保険の手続きをする。また、2つの金融機関で手続きと4ヶ所をまわる。
      午後 妻の伯母が倒れるの報。妻は病院へ急行。私は留守番兼東北への荷物の整理。義伯母の容体は一応安定も意識はない。夜は、集まった妻の親族と夕食。

5月3日  父方の従兄の母、つまり叔母の13回忌法要に宝塚に行く。午前中は読経など、午後は食事。

5月4日  早起きして東北へ出発。午前中は大阪から東京。一旦東京の自宅で何点かの荷物を置き、仙台に向かう。色々あったが、先発隊のいる宿に辿り着き就寝。

5月5日  東松島市での泥出し作業。農家と道路工事業をしている家の倉庫が担当。非常にきつい作業。途中、泥の中から何かの刺激臭で目をやられる。全員退避。泥に埋まった倉庫の整理は危険だ。一日かけてほぼ泥出し完了。くたくたになって撤収。

5月6日  午前 東松島市で最も被害が大きかった野蒜地区の一般家庭の泥出し。1階部分はメチャメチャだった。中二階も殆ど壊滅。2階がかろうじて津波被害はなかったが、揺れによる被害で家具の倒壊が酷かった。
      午後 別の地区の住宅地の床下の泥出し。前の2軒に比べれば軽微な被害に見えたが床上浸水の跡がくっきり。隣家の住人は亡くなられたそうだ。1mでもなくなる人がいたことに言葉を無くす。作業が早く終わったので石巻に行く。TVでも最も映像が流れている町のひとつだが、実際目の当たりにすると絶句以外何もなかった。また、TVでは分からない異臭に驚く。

5月7日 午前 仙台の避難所で住民の発案によるお互いが元気を出すためのイベントを開催するということで会場設営のお手伝いをする。
     午後 東京に向かう。先発隊の借りたレンタカーの返却があるため、渋滞を恐れたのであるが、殆どなく予想より2時間早く返却できた。追加料金がかからず、ほっとした。東北ではカップめんとレトルト食品のみだったので行きつけの焼鳥屋に行き、栄養補給。いつもより多めの食べ物が出てきて嬉しかった。

5月8日 午前 目黒の教団本部の教会の礼拝に行き、活動の報告。
     午後 朝日新聞から送られた無料券で横浜高島屋の人形の展覧会に行く。テーマは昭和。戦時中の子供の様子を見て、思わず昨日までいた被災地の子供を想う。

以上 休息がほとんどなかった休日の報告でした。

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2011年3月14日 (月)

つうきんなんみん

 土日は、自宅待機のような感じで自宅にいたが、近くのスーパーに行き、驚いた。食料品や飲料の棚が空っぽ。念のため、ろうそく売場に行くも空っぽ。

はぁー、東京の人間はパニックを起こしやすいのか。阪神淡路大震災の時はどうだっか。大阪も同じような感じだったか。確かあの時は、カセットコンロのカートリッジが品切れで、後なにかが品切れだったなぁと思いだしていた。

さて、日曜日夜に電力会社と日本政府が突然計画停電と発表。ついに日本も途上国並みだ。まぁ、途上国は予告なしに停電にしてくれるので対応が大変なのだが。

国家財政が厳しいときにこの大災害では、近い将来、ザンビアにいた時に恐れていたような状態が、日本にも来るのだろうかと思ってしまう。

朝、いつもより30分早めに家を出る。JRは止まっているので、金曜日深夜のようにひと駅歩く。東急電鉄は間引き運転。これが悲惨だった。15分のところを45分かかる。地下鉄は比較的スムーズだった。だが、出勤時刻は遅刻。電車遅れなので仕方ない。

この時点で事務所の出勤者は1/3くらい。たどり着けるだけ、まぁ運のいい?ほうなのだろう。

金曜日に徹夜で作業してくれた業者さんが修正してくれたコンテンツをチェックする。再修正をお願いして、現在、会長の最終チェックの結果を待っている段階。OKならば、明日からいよいよテスト配信だ。協力隊OVの皆様に見ていただくつもりだが、東日本在住の方々にお願いするのは無理だろう。西日本の皆様、ご協力よろしく。

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2011年3月12日 (土)

三陸沖大地震

 昨日、午後3時前のけだるい時間、制作していたコンテンツの最終確認中、グラッときた。

非常に激しい揺れだった。だが、長いブランコに揺られている感覚。阪神淡路大震災の時のような突き上げる縦揺れとは明らかに性質が異なる。

しかも揺れている時間が長い。私は思わず目の前の事務所全体のキーボックスが机上から落ちないように押さえていた。流石に協力隊の集団、皆冷静にモニターを押さえている者、書架の引き出しを押さえている者などなど。

ようやく揺れが治まった。某氏が地震の間に押さえていたTVをつけて皆でニュースを見る。仙台震度7の一報。「あぁ、東北が震源か。」と思う。

しかし、その後悪夢のような映像が流れ続けた。一昨年夏の出張記としてこの日記でも写真を公開した岩手県釜石市が、津波に飲み込まれていく。訪問した市役所は海べりだ。「もう、だめだ」と絶望感。あの時、三陸海岸沿いの自治体を訪問して回って、高台に位置していたのは、岩手県大船渡市役所のみ。

他の役所はきっと絶大な被害をこうむったことと思われた。特に危険なのは南三陸町役場。漁港のど真ん中にあった。とするとその時泊った漁師民宿はどうなったのだろう。小さい女の子がいたはず。ニュースによると、町は全滅しているように思われる。胸が潰れる思いだ。

一方、東京近辺もコンビナートの火事やお台場の火事の映像も流れている。千葉に住んでいる同僚たちは青い顔をして自宅に電話を試みるも連絡が取れない模様だった。隣の席のK君は連絡が取れたようで幼い子と妻は、中学校に避難したそうだ。住居にはヒビがはいり、ライフラインはストップの模様。

自分も自宅の様子を調べてみる。どうも停電のようだ。その時点で帰宅を諦めた。仕事とニュースを交互に見ながら、何となく落ち着かない。総務部門の連中は東北の職場の職員、東北ブロックの協力隊OB会長に必死で連絡を取ろうとしていたが、既にNTTの通信制限がかかり、だめなようであった。

私は腹をくくり、仕事に没頭した。最終チェックして手直しが必要なポイントをまとめて、業者さんに連絡する。あちらも帰宅できないようで、「徹夜で仕上げますよ。」と言ってくれた。

23時過ぎ、通勤で使っている私鉄が動き始める。30分後地下鉄も動く。終電時間とは関係なく、動くようなのでK部長と一緒に事務所を出た。思っていたよりも空いていた。速度を落としての運行で普段の倍かかって、川崎市中原区の駅にたどり着く。

JRは止まっているので、一駅歩いて帰るが、夜中の2時を過ぎているのに、沢山の人がゾロゾロ歩いているのが印象てきであった。また、街灯以外の灯りが殆ど点いておらず、不気味な夜の街をとぼとぼ歩いて帰るのであった。帰宅後、途中のコンビニで買ったハイボールを飲んで、ラジオニュースをつけっ放しにして眠った。

前回、1月25日以降の動きは後日アップします。東京マラソン完走など、それなりにエキサイティングでしたが、この度の大災害で吹っ飛んでしまいました。

恐らく、あの出張で関わった方全員が無事とは思えない中で、ただただ、お亡くなりになった方のご冥福を祈るとともに、被災した方々への支援が一刻も早くありますようにお祈り申し上げます。

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2011年1月25日 (火)

やっと日記をかける余裕が2011年1回目

 1か月以上書き込めない状況でした。

その間のことを日記風に書いてみます。

2010年12月3週目週末:妻が上京。夜景を楽しみながらおフランス料理とプチ贅沢を。レストランには、結構ケバいねーちゃんを連れたカップルが多かった。この不景気でも東京はバブリーな雰囲気が多少はは残っているのか。ちなみにレストランのあるホテルのロビーには芸能人「中尾彬」をみた。

2010年12月4週目週末:クリスマス・イブは一人で、行きつけの焼鳥屋「ちの」に行く。常連さんたちが、いつものように飲んでいた。1か月ぶりだったが、いつもと変わりなく飲む。店主である母と同い年のおばちゃんから、駅前のイタリアンレストランで予約していたピザのサービスをふるまわれる。なんだかとても得した気分。
 26日日曜日は申し込んでいたアサヒビールの神奈川工場の見学会。特典は世界のビールの試飲と飲み比べ会(無料)と通常の工場でできたての生麦酒試飲会。制限時間30分で世界のビール(ベルギー・ヒューガルテンホワイト、イギリス・ペール、ドイツ・レーベンブロイ)3種と、アサヒ黒生、スーパードライ生、前者のハーフ計ジョッキ3杯を一気に飲むと結構アルコールが回った。気が大きくなって、年末の帰省のための土産物を多目に買ってしまった。これがアサヒさんの狙いだったか…。

12月28日、29日:御用納めで職場の仲間と気勢を上げるも翌日早朝に帰省なので、多少は控える。夜中、荷造りをして、そのまま大阪に帰る。車中では爆睡。午後は大掃除用の洗剤などを買出しにいく。夕方からは、KCS(最初の就職先の会社の略称)時代の友人たちと忘年会。京橋の懐かしい店をはしご。周囲は変わったが、店は変わっていないのが嬉しい。

12月30、31日:早朝走るが左脹脛に激痛が、全く走れない。歩きでも痛くて気になる。困った…。それにめげず、午前中からひたすら大掃除。特にベランダを念入りに外壁は昨日ホームセンターで購入したプロ用の洗剤で3年分の汚れを落とす。ピカピカになって気持ちいい。室内もリビングの床拭きと和室の掃除を担当する。妻は、台所と寝室。何とか年始に間に合わす。大みそかは、妻の実家で豪華な夕食。ありがたし。

1月1日、2日:元旦は、母と京都に元日礼拝に行く。山科は積雪。慎重に運転。礼拝後は、伯母も同乗し、帰宅。初めて新設の高速道路の下を走って帰るが、非常にすいていて気持ちいい。普段利用している国道1号線だと山科から寝屋川までは、元旦も渋滞が酷く、1時間以上かかるのが当たり前だが、40分足らずで帰れた。今後使いたい便利な道だ。夜は、ここ3年間恒例になった新年の伯母と母との新年会。鍋とおせちに舌鼓を打つ。翌日は、これも恒例の伯母と母の作った京風雑煮。白味噌仕立ての丸餅の雑煮がないと新年を迎えた気にならない。この2日間で手つかずの年賀状を作る。

1月3日、4日:3日には年賀状の添え書きにひたすら没頭。ようやく年賀状を出す。夕方からは、高校時代の水泳部の仲間との新年会。妻は下の世代だが、同窓生なので参加。ここで意外な事実が。小学校で講師をしているMさんの同僚の先生が妻の高校時代の同級生ということが判明し、妻とMさんで盛り上がっていた。仲良しだった3学年にわたる水泳部の宴会は夕方5時から23時まで盛り上がったのであった。4日は、休みを前もって申請していたので本当の意味での骨休め、のんびり過ごして、東京に戻る。

1月7日:長期の海外出張から帰国された仕事のコンテンツの監修の先生の研究室に行く。指摘事項満載。がっくり。指定された参考文献がかなりいい加減だったので大幅なやり直し。先生も参考文献の訳(原典は英語)の酷さに呆れられていた。結局、原典の英文を私が訳して、作ることに。あぁ、何ということ、久々に英語三昧の日々が予想され、がっくりしながら、3連休なので帰阪。連休明けに頑張ることにした。

1月3連休:大阪に帰る。年末年始のことを考えるともったいないような気がしたが、大阪でのんびり過ごした。

1月第2週:平日は図書館通いで英語の資料の収集と翻訳に精を出す。宗教用語は難しいので訳の文章がぐちゃぐちゃになる。それぞれの宗教の日本語の本を何冊も読んで、訳文を整える作業がしんどい。何冊読んだだろう。読書三昧というと優雅なようだが、専門外の本を5~60冊読むと流石に頭が疲れる感じがする。

1月15日:西丹沢を山岳部のメンバーと耐寒登山。寒波直撃の山は想像を絶する寒さ。モンゴルの寒さを思い出すぐらい寒い。休憩を取る気がしないくらいの寒さだ。早々に下山。年末に痛めた足は治らず辛かったこともモチベーションを落とす原因になった。3週間まともに走れていないのだ。

1月16日:時間が足りないので都立図書館に缶詰。

1月第3週:ひたすら文章を整えて、週の半ばに先生に連絡。「忙しく、週後半は時間が取れない」ということで、メールで原稿を送って週末にチェックしてもらうことになる。

1月22日:年始から部屋が散らかったままなので、掃除、洗濯、便所掃除、靴磨き、アイロンがけ、食糧買出しと次週の弁当のおかず作りなど家事三昧。

1月23日:朝は幼馴染が牧師の教会に行き礼拝。珍しい来会者、ブラジル連邦政府警察官(情報通信セクション)でJICAの研修で来日している人が礼拝にきており、紹介される。牧師はJICAと言えば全部知り合いと思っていたようだが、外国研修生とボランティア事業に特化して仕事している私では全く接点はない。なかなか一般の人にそのことは理解してもらえないようだ。午後は、恒例の図書館の虫となる。翻訳とは別の仕事の情報収集のための読書、5冊読了。速読の技に磨きがかかっているよう。

以上、あっという間の1か月でした。何だか常にバタバタしているようです。ここのところ毎日午前様寸前までの残業だし、この年になると身体にこたえますね。

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2010年12月15日 (水)

東京電力キッチンコンテストで「コンパクト賞」受賞

 東京電力からこんなメールがきました。

『末岡 直樹 さま

  この度は「快適IHキッチンコンテスト」にご応募いただき、誠にありがとうございます。

  厳正なる審査の結果、末岡さまのIHキッチンが【コンパクト賞】に選ばれました。おめでとうございます!』

賞品は何だろう?楽しみ

掲載の写真が、我が家のキッチンです。

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投資金額は100円ショップで調達したつっかえ棒1本、鉄の網1枚、S字フック2袋(4本×2)、小物入れのカゴ1つでした。

525円で受賞、なかなか効率がいいかな?

ちなみに12月16日から以下のURLで
『▼快適IHキッチンコンテスト結果発表はコチラ▼』だそうです。

   http://www.tepore.com/eye/contest/ih/02/prize.htm

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